第10話 呉服屋
呉服屋へ行くと、ジエンの言うとおり、またヒノワの想像したとおり、煌びやかな着物がたくさん並んでいた。
店の者だろうか、出迎えに入口へやってきた女神がジエンと一言、二言言葉を交わしている。
呉服屋の女神はヒノワと目が合うとそばにやってきて、腰を深く折り曲げた。
「ようこそおいでくださいました。新しいお着物をお探しとのことですね。この店の主である私にお任せください」
「は、はい」
ジエンもそうだが、女店主もとても腰の低い態度だ。もっと軽く接してくれてもいいのに、と思ったが、マツイノではこれが普通なのかもしれない……などと考えているうちに、ヒノワは体中の大きさを測られた。
計測が終わると、いよいよ着物の意匠を決める段階になる。
「こちらはいかがですか? 黒や紫は最近の流行ですのよ」
そう言って女店主が見せてくれたものは確かに華々しくて素敵なものだったが、鏡の前で合わせてみると、どうも自分には似合わないと感じる。
服に着られている、なんて言葉を思い出した。村では豪華な衣装を着る機会がなかったので、その言葉の意味をいまいち理解できないでいたが、今ならよくわかる。
うーん、と首をひねるヒノワに、女店主はではこれは、じゃあこれは、これならどうです、今度こそ、とたくさんの着物を合わせてくれた。動き回っているというのに、女店主は楽しそうだった。
「ヒノワはいるか?」
十数着もの着物をすすめられたにもかかわらず、どれにしようか決めかねているときだった。アケウミが店の扉をくぐった。
途端、女店主の動きが止まり、女店主は目線を床に落とした。まるでアケウミなど存在しないかのように、固まっている。
そういえば、最初にジエンがヒノワとアケウミの部屋にやってきたときもそうだった。ジエンの場合、固まりはしなかったが、挨拶をしたのはヒノワにだけだ。
異様な状況だった。アケウミになんの反応も示さない店主に戸惑いつつも、ヒノワはアケウミに声をかける。
「どうしたの?」
「いや……帰りが遅かったから、どこで何をしているのか気になっただけだ」
心配して探しに来てくれたのか――ヒノワは思わず笑顔になる。
「新しいお着物をね、探してたの。でも、どれがいいかわからなくて……」
ヒノワはそばにずらりと並んだ着物に目をやる。
虹のように色とりどりの着物たちはどれも良いものだと思うのに、いざ自分が着るとなると選べない。
いっそのこと村から着てきた服でいいとさえ思うが、そういうわけにもいかないのである。
アケウミは口元に手を当てながら、着物を凝視した。黒の着物、紫の着物、黄色の着物、青い着物……一つ一つ丁寧に品定めをしている。
「そうだな……これとかいいんじゃないか」
そう言ってアケウミが指差したのは白を基調とした着物だった。
なんて綺麗な着物だろう。ヒノワは目を大きく開いて輝かせた。アケウミの選んだ着物は、先程からずっとそこにあったはずなのに、急に光をまとって現れたような気がした。
「白い髪のヒノワによく似合うと思う」
嬉しい言葉だが、ヒノワは着物が白であることよりも、ところどころに赤い線が引かれているところが気に入った。
併せてそばに置いてある帯や羽織りも赤い。まるでアケウミを思い出すような、鮮やかな赤だ。
「じゃあ、これにしようかな。……あの」女店主を振り返る。
「白いお着物ですね。さっそく着てみましょうか。こちらへ」
別室へ案内され、アケウミが選んでくれた着物に着替える。着付けをしてくれるのはもちろん女店主だ。
袖を通して、帯をしめてもらい、羽織りを着る。それから鏡の前に立って、ヒノワは「嘘……」と小さな驚愕を口にした。鏡の中の光景が信じられなかった。まるで別人のような自分がいた。
「これ、私……?」
「よくお似合いですよ」
女店主がにこにこと微笑んでいる。元いた場所に戻ると、ジエンも素敵だと言ってくれた。アケウミはというと……。
「…………」
新しい服を着たヒノワを前に固まってしまった。「変……かな?」と聞いてみても、ずっと黙ったままだ。
どれだけ沈黙していたのか。アケウミがようやく口を開く。
「すまない。あまりにも綺麗なものだから……その、言葉が出なかった」
恥ずかしそうに指先で頬をかくアケウミに、ヒノワもまた照れてしまうのだった。
散々悩んだのが嘘のように、ヒノワはあっさりと着物を選んだ。決め手はもちろんアケウミの似合う、や、綺麗という言葉だ。
着物は手直しなどがあるとのことで、明日、また呉服屋まで取りに行くことになった。
客室に戻った頃にはもう夜だった。
戻ってからも大忙しだ。ジエンに風呂へ案内され、一人でできると言っているのに世話をされつつ入浴を済ませる。
風呂の後は食事だ。同じく風呂上がりのアケウミと二人、客室で取ることになった。マツイノの食事はヒノワが見たことのない食材がふんだんに使われており、どれも初めて知る味だった。アケウミと一緒に食べているのもあって、どれもおいしかった。
食べ終わったあとの皿はジエンが片付けた。ヒノワは手伝いを申し出たのだが、うまいことかわされてしまう。
することがないヒノワは時間を持て余した。夜はまだ始まったばかりなのに、既に寝台の端に腰掛けている。
村ではこの時間、食器の片付けなどの仕事で追われていた。それらを全てやらなくていいなんて、ありえないことだった。
「ヒノワ」
アケウミが隣に腰掛けた。
「今日は色々あって疲れただろう。もう休むか?」
「んー……」
早く寝るのもいいが、せっかくの自由な時間だ、寝てしまってはもったいないと思った。
ヒノワはアケウミの顔を見上げた。
「アケウミはもう寝ちゃう? 私は、もう少し起きていたいな……」
しばしの間、ヒノワとアケウミは見つめ合う。
どちらからともなく、相手の顔に自分の顔を近付けた。そして優しく触れ合う唇。一度触れてしまえば、あとはなだれ込むように、深い口付けを交わす。長い夜が始まった。