第9話 マツイノへ

 ヒノワが洞窟の中に入ると、ちょうどアケウミが支度を済ませているところだった。アケウミはやってきたヒノワを見て笑みを浮かべた。ヒノワの気持ちの変化に気付いたのだろう。


「おはよう、アケウミ」

「おはよう」

「行こっか、マツイノに」

 村の外れではシキが待ち構えていた。先日アケウミの洞窟にいた黒髪の男神も一緒だ。名前はカゲウラだとアケウミがこっそり教えてくれた。


「ようやく決心がついたようですね」

 シキが言う。ヒノワはにこりと笑って見せた。セイに報いるためにもマツイノで修行を積み重ね、強き神になるのだ。


「では行きましょう」

 と、ここへ来てヒノワは疑問を覚える。

 マツイノに行くのはいいが、どうやって移動するのだろう。まさか、歩き?

 マツイノは随分遠い場所にあると聞いたことがある。ヒノワは村と、その近辺にしか行ったことがない。もし本当にマツイノまで歩いて行くとして、体力が持つだろうか。


 不安を感じたのも束の間、シキが地面を蹴って宙に浮かび上がり、浮いたままマツイノのある方角へ飛んでいった。

 何が起こっているのか理解し切れないうちに、カゲウラもシキに続いて飛んだ。


「アケウミ……彼らは空を飛べるの?」

「ああ、霊力を使ってな。マツイノの神ならこれくらい造作もないことだ」

「どうしよう、私、飛べない……」

「心配するな」

 足元がふわりと浮いた。ヒノワはアケウミに横抱きにされていた。


「あ、アケウミ?! 何をっ」

「しっかり掴まっていろ」

 咄嗟にアケウミの肩に腕を回した。次の瞬間、アケウミはシキやカゲウラがしていたように大きく地面を蹴り上げた。


 肉体は上昇し、ヒノワの目に映るものは草、木の幹、木の葉、青空と景色を変えて行く。

 徐々に土から離れている恐怖に耐えるように、ヒノワはぎゅっと両目を閉じ、アケウミの体に自身の体を密着させた。

 頬を掠める空気が冷たい。何らかの拍子に落ちてしまうのではないかと怖くてたまらなかった。

 そんな不安も、アケウミの声で吹き飛んだ。


「ヒノワ、下を見てみろ」

 ヒノワを落ち着かせるような、優しい声だった。

 こんなに高いところで下を見るなんて余計に怖くなるだけなのに、アケウミがあまりにも感心しているものだから、彼が何を見て気持ちを高ぶらせているのかと気になり、ヒノワはゆっくりと大地を見下ろした。


「わぁ……!」

 目下に広がっているのは見たことのない景色だった。色とりどりの建物たち。町を取り囲むたくさんの緑は、手入れされているのか鮮やかに光っている。

 何よりも、広大だった。

 あれが三番手のチョウメ、あれが二番手のタケジカ……とアケウミが一つ一つ説明してくれる。そのどれもが気の遠くなるような広さだ。あれだけ広くて大きな町、暮らしている神々もとんでもない数いるのだろう。


 最後に辿り着いたのは、チョウメとタケジカよりやや狭いながらも、よりいっそう煌びやかな街の並ぶ土地だった。言わずもがな、マツイノだ。

 ヒノワたちはマツイノの中でも最も目立つ白い柱の建物に向かって下降した。



「ここが天界で最大の権威を誇る白亜(はくあ)宮殿です」

 宮殿の扉の前でシキが言う。


「宮殿の最深部には最高神がいます。最高神のところへ案内を……と言いたいところですが、長旅で疲れたでしょうから、今日のところはお休みください。部屋を用意させますので」

 ヒノワとアケウミは宮殿内にある客室に通された。


「わっ、すごい……」

 ヒノワの口から思わず歓声が溢れた。

 まず驚いたのは部屋の広さだ。ムメイの村にも食堂やマヤネの住処など、広い建物はあった。けれども宮殿の中の客室は村で見たどの建物よりも広い。

 壁には絵画が飾ってあり、棚には水晶をはめ込んだ煌びやかな調度品の数々が収められている。

 寝台も寝返りを二回はできるのではないかと言うくらい大きい。布団は見ただけで肌触りがいいのだろうとわかる。


「大きな部屋だね」

 ヒノワは隣のアケウミに話しかけた。


「そうだな。これだけ広いとゆっくりくつろげるな」

「この水晶とか……こんなに大きいの、初めて見たよ」

 はしゃぐヒノワを前に、アケウミが頬を綻ばせた。

 アケウミと部屋について話し合っていると、部屋の扉が叩かれた。やってきたのは一人の女神だ。女神はヒノワの顔を見ると、深々と頭を下げた。


「お初にお目にかかります、ヒノワ様。わたくし、宮殿に仕えております侍女のジエンと申します」

「は、はじめまして。ヒノワです」

 あまりにもかしこまった態度の侍女ジエンに、ヒノワは目を瞬かせる。どう対応すればいいのか、ヒノワはアケウミに視線を送ったが、アケウミは席を外すと言って、どこかへ出かけてしまった。


「ヒノワ様が白亜宮殿にご滞在の間、ヒノワ様の身の回りのお手伝いをいたします」

「お世話、ですか」

「ええ、困ったことがあれば何でもわたくしめにお申し付けください。早速ですが、今後のご予定をお伝えします」

 ジエンは今日のこれからの用事、そして明日の朝、昼、晩と、ヒノワの用事を全て口頭で伝えた。

 ヒノワは聞いているだけで目が回った。それくらい忙しくなりそうだった。


「ヒノワ様の今後のご予定は以上です。本日は衣装合わせのみとなります。呉服屋までご案内……って、大丈夫ですか? ふらついているようですが」

「あ、えと、用事がいっぱいあってびっくりしちゃって。村ではこんなにたくさんやることなかったから」

 言うと、ジエンはふふ、と笑った。


「ヒノワ様は遠くの村からやってきたそうですね、シキ様から伺っておりますわ。村とマツイノとでは何もかもが違うでしょう。でも大丈夫、すぐ慣れますわ」

「だといいんですけど……」

「そんな不安そうな顔をしないでくださいな。これから呉服屋へ参ります。マツイノ自慢のお召し物が揃っています。とても華麗で高貴なものですから、見れば不安な気持ちも吹き飛びますわ」

 ヒノワはシキと初めて会ったときのことを思い出した。

 あのときは緊迫した空気もあって感動に浸っている場合ではなかったが、シキの刺繍の施された着物を見て、なんて豪華なのだろうと驚いたものだ。

 これから行く呉服屋にはシキが着ている着物のような美しい衣装がたくさんあるのだろう。そしてそれをヒノワは目にし、選ぶことができる。そう考えただけでも不安は多少和らいだ。