第4話 変わりゆくもの
ヒノワは朝からご機嫌だった。
一人なのをいいことに鼻歌を歌いながら洗濯物を洗う。洗濯物は五日も溜め込んだものだから山積みになっている。
一人で片付けるには多過ぎるが、ご機嫌なヒノワにとってそれは全く苦じゃなかった。
ヒノワは神獣討伐から二日眠っていて、目を覚ましてからの三日間は医務室にてアケウミと二人きりで過ごしていた。
霊力を分け与える――それがアケウミの持つ特別な力だ。ヒノワは三日間たっぷりと時間をかけてアケウミから霊力を与えられた。医務室を出たのは完全に大人の姿に戻ってからだ。
完全回復したヒノワを村の者たちはさっそく囲み、ヒノワの体を気遣ったり神獣を倒したことに対して感心したり感謝したりと様々な反応を見せた。
夜には宴が開かれた。主役はもちろんヒノワだ。酒と贅沢な食事を村の者全員で楽しんだ。
――ヒノワぁ、あいつはあんたにベタ惚れだねぇ。
べろべろに酔ったマヤネがヒノワの肩に腕を回して言った。
――アケウミの奴、あんたが寝てる間ずーっと医務室に居座ってよぉ、だぁれも中に入れなかったんだから。女たちが着替えの世話をするって言ってもだよ。誰もヒノワに近付くなってさ。寝てる間にすけべなことでもされたんじゃないのぉ? ったく、これだから若いのはよぉ!
――マヤネ! 飲み過ぎだ!
マヤネのおしゃべりは、マヤネの旦那が止めるまで続いた。
――すまねぇヒノワ。こいつはほんっとに酒癖が悪くて! 許してやってくれ!
――あっ、いえ、大丈夫ですよ、気にしないでください!
――なんだぁてめぇ! 若いもんに妬いてんのかぁ!
――マヤネお前はもう黙ってろ! ごめんなヒノワ!
ずるずると引きずられていくマヤネを見送りながら、ヒノワは満更でもない気分だった。
誰も医務室に入れなかった。それはアケウミが子供の姿になってしまったヒノワを誰の目にも触れないよう守ってくれたということだ。
アケウミに大事にされている喜びを噛み締めながら、ヒノワは溜まりに溜まった洗濯物を朝のうちに干し切った。
「お疲れさん!」
一息ついたヒノワのもとにマヤネがやってきた。おむすびと竹の水筒を抱えている。
二人でごはんにしようと言うマヤネは、昨夜何事もなかったかのように、いつもと変わらず気さくだった。彼女はひどく酔ったときのことを、一度眠るところりと忘れてしまう。
マヤネと二人きりで食事を取るなどそうそうないことだ。貴重な機会を得られたことと、マヤネがヒノワのためにと自らおむすびを握ってきてくれたことがヒノワは嬉しかった。
「洗濯、もう全部終わったの? あんなに溜まってたのに、やるね」
「はいっ、何日も寝てたから元気が有り余っちゃって」
「仕事が早いのはいいことだけど、無理はしないでね? 病み上がりなんだから。また倒れたら、みんなが心配するよ」
「うう……気を付けます……」
「でも……お手柄だったよ」
マヤネは遠くの空を少しの間見つめたあと、ヒノワに向き直った。
「ヒノワ、村が無事だったのは、あんたのおかげだ。あんたが身を挺して神獣を倒してくれなかったら、村も、あたしも、みんなやられてた。改めて礼を言わせてほしい。ありがとう」
「いえ、そんな」
そんなことは、ないのだ。
ヒノワは神獣との戦いを思い出す。
戦ったはいいものの、ヒノワが倒し損ねた神獣は仲間を呼んだ。駆けつけたアケウミが神獣を全て倒したからよかったものの、もし彼が来なかったら?
きっと、複数の神獣が村を荒らしまわったはずだ。それは最初に現れた一体の神獣が暴れるよりもずっと大きな被害を与えたことだろう。
ヒノワはマヤネに深く頭を下げられるほど大層なことをしていない。本当の意味で村を守ったのは、アケウミだ。
「神獣を倒したのはアケウミです。彼が来なかったら村は大きな被害を負っていました。マヤネ、どうかお願いします。お礼を言うならアケウミに」
マヤネはしばしの間ヒノワの目を見つめたのち、笑った。
「ははっ、そうだねぇ。ヒノワの言うとおりだ! 村を救ってくれた偉大なお方だし……新しい家でも建てて贈ろうかな」
「え?」
「おっと、時間だ。またなヒノワ! 無茶だけはするんじゃないよ!」
ヒノワがマヤネの言葉を理解するよりも先に、マヤネは次の持ち場へ走り去っていった。
残されたヒノワは、返事も忘れて呆然とした。
新しい家――ついこの間完成したばかりなのに、また建てるということは、アケウミが住む家で間違いないはずだ。
ヒノワの甘い考えかもしれない、だがそれ以外に家を建てる理由が見当たらなかった。
アケウミは村の手伝いこそすれど、未だに村に住んでいない。いつまでも村はずれの洞窟で寝起きしているのは、村の神々の中で不安を抱えている者がいるからだ。
――よくやってるとは思うよ。ただ、今までのこともある。完全に信じるのは難しい。
そう言ったのは、かつてアケウミが暴走して壊した家の建設に関わっていた者だ。
ヒノワはアケウミと同じ村で暮らせたらもっと一緒にいられるのにと不満に思いつつも、不安を持つ者の言い分はもっともで尊重せざるを得ないとわかっていたし、アケウミが自分から村に住まわせてくれと言い出すこともなかったから、今までと変わらず過ごしていた。だけど。
アケウミは此度、神獣を倒し村を守る偉業を成し遂げた。信頼は十分に得られたはずだ。とすれば半ば諦めていたアケウミと同じ村に暮らす夢がそう遠くない未来に叶うかもしれない。
同じ村どころか、同じ屋根の下で暮らす可能性だってある。ヒノワとアケウミは夫婦(めおと)なのだから。
想像しただけでうっとりする。
夜、寝る前にアケウミの顔が見られて、何ならアケウミの顔を見ながら寝入ることだってできる。朝には起きたらおはようと伝えられる。
これが毎日続くなんて、この上ない幸福じゃないか。
夢心地のまま迎えた夕食の席で、ヒノワの願いは本当の本当に叶った。
村中の者が集まった食堂で、マヤネが切り出した。
「知ってのとおり、アケウミは神獣から村を守った。彼はもう立派な村の一員だ。いずれ村に迎え入れる。まだ準備の段階だが、みんな、そのつもりでな」
マヤネの言葉に、食堂じゅうが歓声で沸き上がった。お祭り騒ぎだ。アケウミ本人がいないというのに誰もがアケウミが村にやってくるからと騒ぐ。
喜ぶ者の中にはかつてアケウミを完全には信じられないと言った者もいる。彼はヒノワの知らない間にアケウミと親しくなったらしい。まるで自分のことのように喜び、はしゃいでいた。
宴もたけなわ、ヒノワはアケウミに会うべく、食堂をこっそりと抜け出した。今夜会おうと約束していたのだ。
夜道を足取り軽く進む。村はずれの雑木林を抜けたらアケウミの暮らす洞窟がすぐに見える。
あと少しのところで、木と木の間から女神セイが出てきた。
「セイ」
音も気配もなく現れたセイは妙な雰囲気をまとっている。何か怪しい――。ヒノワはセイに警戒心を気取られないよう、平常心を装って話しかけた。
「こんなところで会うなんて珍しいね。セイもどこかにお出かけ?」
「まどろっこしい挨拶はいらないわよ」
女神セイが、ヒノワに一歩詰め寄った。ヒノワは反射的に詰め寄られた分だけ下がろうとしたが、後ろの木の陰からもう一人出てきて退路を塞いだ。セイの弟のメイだった。逃さないと言わんばかりに胸を張っている。
逃げ場をなくしたヒノワにセイは問いかけた。
「単刀直入に聞くわ。あなた、どうやってそんなにたくさんの霊力を手に入れたの?」
「どうやってって……」
アケウミに分けてもらっただけだ。しかし、今のセイとメイにそれを伝えたくない。
「私の霊力はまだ限界を迎えてなかった。ただそれだけだよ」
「だからって、あなたがあんなに大きな神獣を相手にできるほど強いはずがない。あなたは村で一番弱かった。ずっと弱かった。そう、ずっとずっと。なのになんで急に強くなったの? おかしいでしょ。あたしはあなたにそこまでの潜在能力があったとは思えない。絶対に何かあるでしょう。次はとぼけないで、ちゃんと答えて」
月明かりの下、セイの目は黒く光っていた。背後を塞ぐメイも同じ目をしている。
怖い、と思った。セイはヒノワをおかしいと言ったが、この二人の様子もおかしい。
「何回聞かれても答えは同じだよ。私にはまだまだ伸びしろがあっただけだから。……もう行くね。人を待たせてるの」
ヒノワは強引にセイとメイの間から抜け出した。
背筋に二人の視線がずっと突き刺さっていたが、決して振り返らず歩き続けた。
あくまでも自然に、平気な顔をして前へ前へと進む。ようやく安心できたのは、洞窟に着いてアケウミの顔を見てからだ。
「ヒノワ……? どうした、何かあったか」
ヒノワを心配するアケウミの声と表情は優しく、ヒノワの緊張をゆっくりと溶かしていく。
ヒノワはふらふらとアケウミの腕の中に滑り込み、彼の胸に全身を委ねた。背中に回されたアケウミの手のひらは暖かく、ヒノワに安らぎを与えてくれた。
その夜は何をするでもなく、ただアケウミに抱きしめられて眠った。静かな夜だった。心落ち着く夜だった。アケウミが隣にいてくれるだけでヒノワは心強くいられる。