第5話 高貴な客人

 なんて不運なのだろう。ヒノワは胸の内で嘆いた。今日の当番は朝食担当、それも、女神セイと二人でだ。

 調理場にいるヒノワとセイの間に会話はなく、ただ食材を切り刻む音だけが響いた。昨夜の雑木林での出来事があった以上、いつものように平常心でいられない。セイもずっと口を閉ざしている。

 どうせなら今日が洗濯当番だったらよかったのに、と思わずにはいられなかった。


 このままセイと二人でいると押し潰されそうだ。

 ヒノワは調理場を離れるべく朝食を早く作ろうと急ぐ。ひたすら無心で手を動かすが、用意するのは村じゅうの神の食事だ。どれだけ急いだところですぐには終わらない。

 セイをちらりと盗み見る。セイはヒノワとは対照的に落ち着いていた。昨日あんなことがあったというのにいつもどおりなところがまた恐ろしくて、ヒノワはますますいたたまれなくなる。


 もう限界だ――。

 誰かに当番を代わってもらおうと調理場の扉に足を向けたとき、村の女神が一人、調理場に駆け込んできた。


「ヒノワ! マヤネが呼んでる! すぐに来て!」

 なぜそんなに慌てているのか、理由はすぐにわかった。

 マツイノから客人が来たらしい。

 マツイノとは強力な霊力を持つ神々が暮らしている都市で、ヒノワやヒノワの住む村の者たちとは全く縁がない、立ち入ることさえ許されない場所だ。

 そんなマツイノから客人がやってくるとはどういうことなのか。得体の知れない恐怖と緊張で身の毛がよだつ。

 鳥肌は、マヤネと客人の待つ客間の前にたどり着いても収まらなかった。むしろ悪化したようにさえ思う。扉の向こう側から、これまでに感じたことのない何かがあると空気でわかった。

 ヒノワは恐る恐る扉を叩いた。


「マヤネ、ヒノワです」

「……入れ」

 部屋の中には硬い表情のマヤネと、向かいに机を挟んで男神が一人、いた。

 初めて見る顔の男神の服は汚れひとつなく清潔で、見たことのない美しい刺繍が施されている。髪も艶やかで、首元を煌びやかな装飾品で飾っている。村の神々とは何もかもが違う。

 マツイノの男神は客人として行儀よく椅子に腰掛けているが、隙が一切ない。

 なるほどマヤネも緊張するわけだ。ヒノワもあまりの気迫に言葉を失っていた。


「彼女がヒノワさんですか」

 客人はヒノワとマヤネの気持ちなど素知らぬ様子で口を開く。何も恐れない、堂々とした態度で、笑顔の一つも浮かべない。


「ええ、そうです。……ヒノワ、こちらへ」

 マヤネに促され、ヒノワはマヤネの隣に立つ。


「こちらが例の神獣を倒したヒノワです。ヒノワ、この方はシキさんって言うんだ。マツイノの神様だよ」

「よろしく、ヒノワさん。さっそくですが、あなたと二人で話がしたい。いいですか? マヤネさん」

「もちろんです。では、あたしはこれで。……ヒノワ、くれぐれも失礼のないようにね」

 マヤネは小声でヒノワに耳打ちをすると、そそくさと部屋を後にした。


 村で一番豪華な客間の中に客人と二人きり。ヒノワは自分だけ取り残すなんてあんまりだとマヤネを少し恨みがましく思った。とはいえ相手はヒノワを訪ねてやってきたのだ、二人きりになるのはおかしなことではない。

 シキ、といったか。この得体の知れない男神が怖くないわけではないが、ここは虚勢でもいいから堂々としていよう。ヒノワは先程までマヤネがいた場所に姿勢正しく座る。


「お初にお目にかかります、ヒノワといいます」

「ご丁寧にどうも。マツイノのシキです」

「マツイノの神様が、私にどのようなご用件でしょうか」

「この辺りでね、とても巨大な霊力が観測されたんですよ。それも大きな神獣を倒すほどの」

「あ、それなら、」

「アケウミのことではありませんよ」

「アケウミを知っているんですか?」

「彼はかつてマツイノにいましたから。……話を戻します。この辺りで巨大な霊力が観測されました。それはあなたの力で間違いありませんね」

「……はい」

 ただでさえマツイノから客人がやってきて気が重いというのに、当の客人は無表情のままものを言うものだから、ヒノワは圧迫感に押し潰されそうになった。

 しかも話す内容はヒノワの霊力についてだ。昨夜の女神セイと男神メイのことを思い出すと気が重くなる。マツイノの神からはなんと言われたものか。しかし。


「あなたの力は立派なものだ。マツイノに相応しい」

 シキの口から出た言葉はヒノワの想像とはまるで違うものだった。


「最高神からヒノワさんに辞令が下りました。今すぐマツイノに移り住むようにとのことです」

「最高神……? マツイノ……? えっと、どういうことですか?」

「これは失礼。説明が足りませんでしたね。まず最高神というのは、この世界で最も位の高い神のことです」

 最高神はこの世界の全てであり、この世界の全てを決める存在だ。マツイノで暮らす神を選ぶのも彼だとシキは顔色一つ変えずに淡々と語る。シキ自身は最高神の使いだとも。


「よくあることです、マツイノ以外の土地から強力な神を引き抜くといった話は。ムメイから引き抜かれるのは今回が初めてですがね。ああ、ムメイというのはこの村を含めた、極めて霊力の弱い神が暮らす土地一帯を指します。あなたはそんなムメイの神でありながら強大な力を宿した優秀な神なのです。マツイノに移り住めばより良い暮らしが臨めます」

「ええと……その話、断ることは……」

「できません。最高神の命令は絶対です」

 ヒノワは目の奥がまわるような感覚に襲った。


「すぐにでも出発しましょう。移動の準備はできています」

「ちょっと……待ってください、話が早すぎます」

 こちらの都合などお構いなしなシキの口ぶりにヒノワは少し苛立つ。急に住む場所を変えろと言われて、はいわかりましたと素直に従うと思ったら大間違いだ。

 最高神の命令だからなんだ、マツイノだからなんだ。ヒノワはこの村で育ち、村のみんなと共に過ごしてきた。簡単に離れるわけがない。


「少し……時間をくれませんか。私にも準備があるのです」

「それもそうですね。構いませんよ、待ちます。ですが出来る限り迅速にお願いします。村の存続に関わるので」

「え?」

 と、外から悲鳴と、獣の雄叫びが聞こえた。ヒノワは胸騒ぎがした。あの声は紛れもない、神獣だ。


「来ましたね……。行きましょうか」


 外ではやはり、体の大きな神獣が大暴れしていた。畑仕事をしている最中の村民を襲ったらしい。畑は神獣に踏み荒らされ、そばには村民が何名か倒れている。

 早く神獣を倒さねばとヒノワが手を伸ばしたときには既にシキが前に出て、霊力を使った波動を二、三発、神獣の頭と胴体に撃ち込んだ。

 神獣の巨体が消えてゆく傍ら、女の悲鳴が聞こえた。


「メイ! メイ!」

 女神セイの声だった。弟のメイを腕の中に抱えて泣き叫んでいる。


「おいおい……なんだありゃあ!」

 驚愕の声をあげながらメイを指差したのは村の男神だ。声につられてヒノワもセイの腕の中を見た。

 メイが、じわじわと小さくなっていた。本来の大人の男の姿から子供へ、子供から赤子へ。最後には服だけを残して跡形もなく消えた。

 何が起きたのか? 畑にいた者たちが混乱と困惑によって静まり返る。


「ああああああ!」

 声を荒らげているのはセイだけだった。


「嘘、嘘、嘘! なんで?! なんでなの、メイーーーー!」

 セイの声は村中に響き渡った。悲痛な声だった。無理もない。弟が綺麗さっぱり、まるで最初からいなかったかのように消えたのだから。



「いったいどういうことなんですか」

 客間に戻ったヒノワは、向かいの椅子に腰を下ろした男神シキに問いかけた。


「村の存続に関わるってなんですか。私がマツイノに行かなければならないこととどんな関係があるんですか。それに神獣がきて……畑が襲われて……メイが……村の男神が一人消えて……ううん、神が消えるわけがない。あれは夢……? そう、きっと夢……」

「ヒノワさん、落ち着いて。順番に、一つずつ説明しますから」

 慌てふためくヒノワとは正反対に、シキは冷静に、淡々と、ヒノワの疑問に答えて行く。


「村の男神が消えたのは、神獣に噛みつかれ、牙が刺さったのでしょう。あれは特殊でね、傷をつけられると、傷口から霊力が溢れ出すのです。メイさんの体が少しずつ縮んでいく様を見ましたよね」

 神の姿形は、持っている霊力の量で決まる。霊力が多ければ大人に、少なければ子供に。

 霊力が尽きたとき、神は無になるのだとシキは言う。


「村の存続について……ですが、ヒノワさん、神獣が我々神の前に現れる理由は知っていますか」

「いいえ……」

「神獣は、霊力を求めて我々に襲いかかるんです。体の大きな神獣ほどより強力な霊力を求めて、強い霊力を持つ神の前に現れる。つまり、ヒノワさんがこの村にいると、あの巨大な神獣が次から次へとやってくることになります」

「それだと、ひとつおかしなことがあります。私は以前とても弱い神でしたが、そのときはあんなに大きな神獣が村を襲うことはありませんでした。村の近くにアケウミがいたのにです」

「神獣も無謀ではありませんからね。わざわざあれを狙う奴はいない」

 ヒノワは気の遠くなるような衝撃を受け、本当に倒れてしまいそうだった。


 それでは何か。メイが消えたのは、ヒノワが村にいたせいだということか。

 シキの話は信じ難いものだったが、マツイノの神が言うことなのだから本当なのだろう。シキはヒノワよりずっとこの世界のことを知っている。何より、巨大な神獣が村を襲うようになったのはヒノワが大人の姿になってからだという他ならない証拠がある。

 ヒノワは膝の上で拳を握りしめた。村を守るためには村から出ていかなくてはならない。


「ヒノワさん」

 いつまでも黙ったまま項垂れるヒノワに、シキが困った様子で声をかける。


「あなたは早急にマツイノに移り住むべきだ。ですが、今すぐというわけにはいかない様子ですので……そうだな、二日、二日待ちます。それまでに準備を済ませてください。これは最高神の命令です」

 最高神の言うことは絶対だと、逆らうなと、シキは念を押すように言った。


 シキが村を立ち去ったあと、ヒノワは最高神の存在と、その最高神にマツイノに移り住むよう命じられたことをマヤネに伝えた。

 流石にヒノワのせいで神獣が村を襲うことまでは言えなかった。

 マヤネは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつもの明るい表情に切り替わった。


「すごいじゃないか。マツイノだよ、マツイノ。強い神様がたくさん住んでるっていう。ここよりずっと良いものがあるって聞いてるよ。修行もできるっていうし。ヒノワ、マツイノにいけば、あんたはもっともっと強くてすごい神様になれるよ」

 ヒノワは、曖昧な笑顔を浮かべることしかできなかった。


「あー、それとね、ヒノワ。こんなめでたいときに悪いんだけど……」

 と、マヤネが話題を変える。


「さっき、神獣がまた村を襲っただろう? それで……メイが、神獣にやられて消えたんだ。今夜、村の神全員で弔いをするから、よろしくね」

「……はい」



 夜の帳が下りた頃、村では男神メイの弔いの儀式が静かに行われた。声を殺して泣く女神セイの姿は痛々しい。

 弔いが終わったあと、ヒノワはセイに声をかけたが、セイは心ここにあらずといった様子で、ヒノワの声など聞こえていなかった。

 そんなセイとつい今朝までぎくしゃくしていたとはいえ、ヒノワは見ていられなかった。ヒノワのせいでメイが死に、セイは深く悲しんでいる。


 この気持ちをどう噛み砕けばいいものか。

 頭の中がぐちゃぐちゃになっておかしくなってしまいそうなヒノワは、藁にも縋る思いでアケウミの住む洞窟に向かった。

 アケウミも弔いに参加はしていたが、儀式が終わるなりすぐに帰ってしまったのだ。


 洞窟の中に入ると、見知らぬ黒髪の男神がアケウミと話していた。

 黒髪の男神はヒノワが来たことに気付くと、アケウミに軽く挨拶をして洞窟を出ていった。すれ違いざまに睨まれた……のは、ヒノワの気のせいだろうか。


「今の、誰?」

 ヒノワは自分で自分の声に驚いた。棘のある、不機嫌な声だった。アケウミもヒノワの声の異変に気付いたのか、少しだけ肩がぴくりと揺れる。


「昔の知り合いだ」

「昔のって、マツイノの?」

「……なぜそんなことを聞く」

「私のところにも来たの。マツイノの神様……最高神の使いという方が。最高神の命令で、マツイノに移り住むように言われた」

 信じられないとばかりにアケウミの目が大きく見開かれた。次いで息を小さく吐く姿を見て、ヒノワは確信した。

 先程まで洞窟にいた黒髪の男神は最高神の使いで、アケウミも最高神の使いに言われたのだ。マツイノに来るようにと。


「アケウミは……行っちゃうの? マツイノに」

 アケウミはもともとマツイノで暮らしていた神だ。そしていつだったか、こんなことを言っていなかった。こんな辺鄙な土地は窮屈だ、と。こんな辺鄙な土地とは、ここムメイのことを指している。

 少なからずマツイノに帰りたい気持ちがあるのだろう。だとすれば、アケウミはヒノワと違って素直に最高神に従うはずだった。


「いや、俺は……」

 口を噤むアケウミを見た途端、抑えていた感情がいっきに溢れ出した。涙で視界が滲む。


「嫌だ……私、マツイノに行きたくない。アケウミにも行ってほしくない……」

 理性ではマツイノに行ったほうがいいとわかっている。けれども感情は正直だった。ヒノワは村から出たくない。